トージシャ Studies ホウレンソウ

ー私が自分の人生の主人公になるー 問題を自分に引き受けたとき、人は当事者になれる。自分のニーズを掘り起こし、発信できる「当事者」になるために日々奮闘しているマインビーストのメンバーの日報です

あえて、やらない。

仕事休んだ~。
久しぶりの解放感。
あえて、やらない、降りるー
と、いうこの感覚が好きなんだなー。

やりたいと思っていて、先伸ばしにしていたことをが少しできた。
食べたいものだけを食べてみた。食べ過ぎたけどね。
体に不快感を覚えるが、それをただ「これは感覚」と眺めてみた。

どれも、今の私に必要なこと。

自分が必要と思うものを、必要な分だけ摂取して
殆どのものを排泄して、溜めない。
こんな状態が理想です。

ただ、振り回されたくないだけ。

人の言動が気になってしょうがない。
人は自分のことなんて全然、気にもしていないのにね。
自分が勝手に振り回されている。
早く、この状態から解放されたい。
「みみっちいナァ~。」と思う。
自分の思考や行動が。
別にデッカイことをしたいのではない。
振り回されたくないだけ。
あ~!それだけなんだよ!

老後破産という言葉をNHKが作ったようだ。
年金で暮らせず、生活保護を受ける。ということらしい。
生活保護を受けられて、生活ができるのであれば、問題はないのでは?と思うが。
生活保護も受けられず、苦しい生活をしている人も多いだろうから。
「文化的な生活」という言葉が印象的だった。
ただ、生きているだけじゃなくて、文化的に過ごす生活。
それは、とても抽象的な概念だと思った。
何が「文化的」なのか?
答えられる?
人によって違うよねぇ?。
それは、お金儲けで変えるものか?
いくらあればいい?
自分にとって、文化的な暮らしとは何だろう?と考えてみるのも面白いね。

青空にひといきつく。感謝。

やっと晴れた。
久しぶりの青空だ。昼休みに散策した。
風も強くて、湿度も高いけど、空が青い!太陽の光を浴びる!
気持ちいい!
クサハボタンが咲いていた。
オニタビラコ発見。
近種にコオニタビラコとササタビラコがあるようだ。
多分、今日見たのはオニタビラコだと思う。
シェフレアも分かったし、顔と名前が繋がると、よりそのまま草花と身近に繋がっているようで嬉しい。
「楽しい」この感覚を大切に!
そのモノに執着して渇愛するのではなく「楽しい」感覚だけを楽しむのだよ。

異空間にまぎれたようだ。

いつもやっていることが、なくなってしまった。
すごく不安になる。
久しぶりのこの感覚。
昨日の続きに当たり前の今日がある。
と思っていた。と改めて思い知らされた。
でも、変化はある日突然に訪れる。
それが、今日だった。
グニャリ。
時空が歪んだ感じ。
日常が非日常になる。
いつも見ている景色が違って見える。
これも誰がと共有できれば、こんなに孤立した感じはしないのかもしれない。
そうだ、今、所属している世界と違う世界の出来事だから、尚更、異次元にはまったような感覚になるんだな。

いつのまにか必死になってる私って。

なんでこんなに一生懸命になるんだろう?
軽い気持ちで依頼されたことに、必死になって応えようとする。
昔からそうだった。それを自分に課しているところがある。
できる限りのことをしなければいけない。
どこかでそう思っている。
イヤなんだな~。この必死さが。
ウザイ。
もっと、飄々といきたいんだ。

とりあえず、は大事にしよう。

行動すること。とは。
とりあえず、体を動かして、やってみる、こと。
やっているときに閃くことがある。やってみてから分かることがある。
いつもそうだ。
何か新しいことをやろうと思っても、否定的な考えが出てきて諦めてしまう。
やると決めて段取りをしても、間際で止めることも多い。
何が足枷となってやらないのか?
その時々に理由はあるが根っこは1つだろう。
「不安」かな?
「理由をつける」こと自体、逃げてるしね。
新しいことをやっているときは、事前にシュミレーションしたようには、全くいかないんだけど、その現場で閃くことがあって、そういう時はとてもワクワクする。
興奮する、その刺激が気持ちいい!!
予定通り行かなかったことを「上手く出来なかった」「失敗した」と否定的に捉えることが多かったが、今回は「これがライブだ~!」なんて楽しめた。いいことだ。
自分がどう感じるのか。に焦点を当てられるようになると、自分に芯ができたみたいで落ち着く。
この感覚は大切にしたい。

誰の責任?え?、マニュアル通り?

オリンピック開催に向けて、色々問題が出てきている。
ロゴの盗作疑惑。
ロゴ疑惑から発生したやぶ蛇の事態が、この問題をより大きくしている。
開催会場の問題。
建設費用が予算より大幅に高くなった理由がデザインによるものとして、白紙に。
それにより、期日に間に合うのか?、結果的に新たな費用発生するのでは?など問題山積。
どちらも、オリンピックの顔だけに、対応が不味ければ、事態はより深刻化するし、他への影響も大きいだろう。
と、一般的な意見だが、一番感じるのは、リーダーがいない。ということだ。
ロゴと会場は別の問題かもしれないが、オリンピックを開催するという視点にたてば、ひとつの問題だ。
何か不都合が起こったとき、どんな姿勢で対処するか。
それは、強いリーダーがいて、できることだ。
思い出したが、手塚眞が作成した映画についてのインタビューの中で「実の高い作品を作るとき、民主主義的なやり方はダメです。人は、多数の意見に流される。良いものを作るためには、一人のリーダーが強い信念を持って、独裁的にでも決定していかなければならない。そして、その権限を与えなければならない」
というようなことを言っていた。
確かにそうだと思う。
今、オリンピック開催に関して、それが感じられない。
責任を取りたくないのか?と思ったが、どうも、初めから「リーダーが責任を持つ」という考え方はないのかな?と思えてきた。
というか、「オリジナルで実の高い」ものを作るなんて発想は全くないんだろうな~。
それは、今の日本の社会が、細分化された中で「その中で役割を果たす」構造になっているからかもしれない。
それと、オリンピック開催自体「棚からぼた餅」のように降ってきてしまったのだろう。
オリンピック招致は目に見える政治的なイベントだから「開催した」という事実は魅力的なんだろうね。
政治家は「歴史に残る」が好きなんじゃないかな?
政府からすると開催決定の瞬間に念願は叶っちゃったんだ。
後は、組織を作って、各々の頭に役人を置いて、その下に専門家集団を置いて。。。
はい、あとは「期日通りに」「予算内で」「トラブルなく」ことが進めばOK!
問題が出たらその状況によって「個別対応」で対処する。
最終的には、責任者といわれる肩書きを持った人が、記者会見で頭を下げて、辞任の発表をすればコトは終了。
まるでマニュアルがあるかのような流れ。
東京オリンピックにまつわることは、今の日本の社会の縮図だね。
国内だけで完結できないから、より日本的なモノが炙り出されることになるだろう。
まだまだ、これから色んなな事態が起こるだろう。想定外というよりも、新規の(特に国際的な)イベントは、そういうものだと思う。それを大前提にして進めなければ、迷走するたけだ。
迷走してたどり着く先はどんな景色なんだろうね。
それが見られるかも。
これが税金でやれるんだから、日本って豊かだよね~。ヤレヤレ。