トージシャ Studies ホウレンソウ

ー私が自分の人生の主人公になるー 問題を自分に引き受けたとき、人は当事者になれる。自分のニーズを掘り起こし、発信できる「当事者」になるために日々奮闘しているマインビーストのメンバーの日報です

どうにも止まらない

取引先の人を相手に無駄話を披露してしまった。
こちらがクライアントになるから相手は一応聞かなきゃいけないからねぇ。気の毒だね。
でも、なんでこんなにしゃべりたいんだろう?
内容はどうでもいいんだ。しゃべりたいと言うか、聞いて欲しいんだな。何を?。私の話を。

一文儲けの百失い

一級河川が決壊した。
決壊したのは、前は堤防があった場所で、ソーラーパネルの設置をする際に堤防を崩したらしい。
議会でも問題視されていて、土嚢処置はしていたようだ。堤防を再度作る提案もされていたそうだが、その土地は個人の所有だから簡単にはいかなかったようだ。
でも今回、河川が決壊したことによって、そのソーラーパネルも使えなくなったとしたら、その大丈夫ですは大きいんじゃないかな?
目先の利益を優先したことが結果的に大きな損失を生むー
世の中にはそういうことは結構多い。
私はケチでいじましいので。しょっちゅうだおこる。
「損して得とれ」なんて、絶対思えないな。
今週末、近所の河川敷に行ってみよう。
ゴルフの打ちっぱなし場やグランドとかあるけど、どうなっているんだろうね。
ホームレスの人の居場所でもあるしね。

模倣か否か?もうそれはアウトof論外なのかも。

オリンピックのロゴは模倣か?。
専門家筋では、模倣ではない。
それについて詳しく解説した記事を読んだ。
全くその通り。納得。
ただ、どれだけの人たちがこれを読みこなせるのだろう?と思った。
デザインに縁のない人は読まないとしても、かなり専門的だと感じた。
自分は基礎知識があると思っているが、それでも読みごたえがあったからなぁ。
いずれにしても、理論がどうあれ、模倣とか、盗作とかネガティブなイメージを払拭することは難しいだろう。
人は、そういうネタを面白がるからね。
前回の東京オリンピックから約50年。国際イベントやデザインに対する意識の変化は大きなものがあるように感じる。
たった50年。されど半世紀。なのかな?

観察すること。

雑草が気になって仕方ない。
摘んで家に持ち帰って、図鑑を見ながら眺めてみると、色々発見があってますます面白くなってきた。
図鑑とは違うところがあって、名前を特定できない。
名前を覚えるのが目的ではないので、ざっくり「仲間」と位置付けよう。
記録しようと、描いてみると、また違った発見がある。興味がつきない。
名前が分かると、外で見たときに、知り合いに出会ったような、嬉しい気持ちになる。
こんなに思い入れるなんて、不思議。
観察って、面白い。
道や職場で会う人もそんな素直な目で眺められたら、また違った世界が開けるかも。

できる(はず)。

人が何に執着しているか。
それは、他の人には分からない。
当たり前のことなのに、やっぱりどこかで分かってくれてると思っているんじゃないかな?
分かってないのに、分かってることして成り立っている。それだけなんだよ。
この世は妄想で成り立っている。
時には称賛して、時には非難して。妬んでみたり、感心してみたり、天狗になったり、チキンになったり。まぁ、忙しいことだねぇ。
そういう風にも生きられるし、そこから離れることもできる(はず)。

あぁ~、無常ー。

生きてるってことは、無常だとシミジミしてしまった。
先週まであった植えマスの雑草が刈り取られて、土が黒々と剥き出しになっているのを見た。
昨日と今日、家の隣の神社で町内の小さな盆踊りが行われる。
地元の人たちが集まって、大人たちは賑やかに飲んで、子供たちは浴衣姿ではしゃぎ回っている様子を見たり、そんなことが引き金となって、今という時は、もう二度とないのだ。と何故か納得できたんだ。
準備をしている関係者の高揚感とかイザコザとかがリアルに伝わってきて、非日常の空気に包まれる。そして、お祭りが終わった後の静けさが、どーんと心に沁みた。
あぁ、無常ー。いい意味でね。