トージシャ Studies ホウレンソウ

ー私が自分の人生の主人公になるー 問題を自分に引き受けたとき、人は当事者になれる。自分のニーズを掘り起こし、発信できる「当事者」になるために日々奮闘しているマインビーストのメンバーの日報です

我思う、ゆえに我ありの続きは?

デカルトの有名な言葉。様々な解釈がされている。
ゴーギャンの≪我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか≫の言葉も、描かれた絵を越えて、様々なところに引用されている。
人を惹き付けてやまない言葉たちだと思う。
さて、「我思う、ゆえに我あり」に続く言葉は?
「思うことは常に変わる。ゆえに、我は常に変わる」。
「我思う、ゆえに、我あり」というのは「自我は妄想である」ということ。
全ては無常なので、「我」も変化し続ける。
方法序説』は1637年に発表されたが、19世紀に意図的に使われ出した、という話を本で読んだ。
物事には、元々の趣旨や思想とは別に広まっていくことが多い。
本来の意味・意図から離れて、言葉がひとり歩きすることの是非はあると思う。
自分の事だと、どんな些細なことでも歪曲されると、我慢できない。
でも、どんなに理不尽だとしても、それは「思考」は妄想だから、仕方がないことだろう。
「諦め」とも違う感覚を覚える。