トージシャ Studies ホウレンソウ

ー私が自分の人生の主人公になるー 問題を自分に引き受けたとき、人は当事者になれる。自分のニーズを掘り起こし、発信できる「当事者」になるために日々奮闘しているマインビーストのメンバーの日報です

ニーズはトージシャの創造物である。ニーズと選好は違う。

手に入るものの中からしか選択できない。
なにが自分のニーズなのか知ることは難しい。
「トージシャであるのではなく、トージシャになる。」
貧困で自滅するのも今までは「しょうがないか」と思っていたが、自分がよしと思う暮らしをするというニーズを主張する権利がある。と思えるようになった。
具体的にどう行動するかは分からないが、要求することは「わがまま」ではないということ。「じたばた」してもいいんだということ。

ニーズと選好は違う。

依存症者の「選好」は「もっと飲みたい」という選好であり(ニーズではない)、それが自分の健康や家族関係、社会的生存を破壊するリスクより優先される。
依存症には「当事者がいない」。
なぜなら「依存症の当事者であることを拒否している」からである。
依存症者と認めること=当事者になることは、これまでの人生を手放し、まったく見知らぬ世界に入っていくのに等しい。