トージシャ Studies ホウレンソウ

ー私が自分の人生の主人公になるー 問題を自分に引き受けたとき、人は当事者になれる。自分のニーズを掘り起こし、発信できる「当事者」になるために日々奮闘しているマインビーストのメンバーの日報です

カエルの話から命の無常をキャッチ

小学生5年生の頃、子供会の集まりで読書感想の発表したことがある。

水上勉の蛙の話。
その時の私は、長々話すのもイヤだからと、あらすじも入れず、感想を手短に小さなメモにまとめた。発表したあと、責任者の大人の人に「もう一度話してくれる?」と言われた。そして同じ言葉を繰り返した。
その人は困った様子で、コメントすることができなかった。
当然、その場にいた小学生たちは無反応だ。
誰にもフォローもされず、発表は終わった。

なぜか、このことが、ずっと忘れられない。
特に発表した季節の夏になると繰り返し思い出す。

分かってもらえなかったことが悔しかったのか?
私の読書感想文のできがそんなに酷かったのか?
あの大人はどう思ったのだろうか?

などなど、思いを巡らす。
もちろん答えはないし、是か非かということでもない。
ただ、自分の思いや言葉は人には通じないんだなと。
そして、その後も何度も同じような思いを重ねた。

自分の想いは人には伝わらない。
それと同じように、人に言っていることが理解できない。
自分は人としてオカシイのだ。そうなのだ。

 

水上勉で「蛙の話」と検索すると「ブンナよ木からおりてこい」が出てきた。あらすじを読んでも殆ど思い出せなかった。他の本だろうか?。お寺の池に暮らす蛙という記憶はあるのだが、ストーリーは思い出せないな。暗くて残酷な印象が残っている。残酷だから恐怖、というより生物の無常・摂理のようなものを感じた。
そして、そんなことを発表したのだ。