なんてったってトージシャ
障害という属性はあるが、障害者という人格はない。
障害を人格と同一化させて考えるのは、近代になってからのことである。
「障害は個性だ」という言い方があるが「個性」は人格と捉えられる。障害は「属性」のひとつにすぎないのだから「個性」ではなく、やはり「属性」と位置づけられるべきだ。そうでないと「障害者」という人格として固定されてしまうから。
障害そのものは、この社会で生きるには不便なものであっても不幸なことではない。障害があることと、人生を幸せに送れるかどうかとは関係がない。障害は社会が生み出すもので自分が原因ではない。
障害に不都合な社会のデザインやルールを変更し、必要に応じて必要なサービスを利用できるようにすること。暮らし、仕事、余暇における差別を取り除くことは、その社会の選択しだいでいくらでも可能なのである。
当事者主権 中西正明 上野千鶴子 著 (岩波新書)から抜き書き(一部変更)。