より良く生きるために
古来発祥の宗教は神話物語
ブツダの言葉は史実
仏教を学べば、自分の人格が向上することに、生きるべき道が見えてくることに感動する。宗教と違って、依存、信仰、折伏はない。
自分に勝つことが最大の勝利。
心に渇愛がある(死ぬほど生きたい)
機能としては「貧・瞋・痴」
ログインすれば「貧・瞋・痴」
ログアウトすれば「無明と渇愛」
生命に必要な、生きるためのデータはプリインストールされている
その中に「無明と渇愛」が入っている
脳細胞が記憶しているのではない
記憶は感情の上に築く知識
感情には理性がないので記憶も感情に左右され、時には暴走する。
感情は悪
瞑想実践をして、感情が肉体に依存しているのをカットする
記憶は管理不能
知識は五根で制限させている
眼、耳、鼻、舌、身
思考パターンは妄想が関与している。それを変えるのは大変
変えるためには、事実を発見する必要があるが、それは、妄想することをやめて、ありのままに考察すること。
無知自慢をしない
変身して学ぶ
本性とはアイデンティティーであり破るものである。
改善のための重要な6項目
①良い性格を実行する
②本性に気づいて常に戒める
③強い意志、意欲
④諦めないこと
⑤理性を育てる
⑥世間に対して「隠すべきこと」を持たない
本性とは、無始なる過去から輪廻転生する過程でできている
我々には無始なる過去がある
但し、今世の本性には量的なリミットがある
本性は心。心には容量がある
個人の心はコップのようなもの
例えば、海のような大量の過去の本性の蓄積があっても、この世に生まれる時は、容量の小さなコップに汲める分しか持ってこれない。使えるのはそれだけ。それで今世を生きなければならない
本性は性格チェックで発見することができる
性格は心に入る。心には耐量があり、それ以上入れるとその生命は死ぬ。例えば、怒りも心に持てる量が決まっていて、それ以上になるくらい激怒したら、そのまま死ぬ。
我慢できなくなるというのは、容量が一杯になったということ
その場合、別の感情に切り替える必要がある
心を破壊するのは「悪い=感情」が容量を越えたとき
良いことも対応できる容量は決まっている
本性を持って生まれくるが、そのままでは生きていけない
生まれたものがその世界に適合するために、新たに学ばなければならない
人は本性の上にこの世で躾を受けて、実行性格を作る
この世で上手く生きていくために多重性格になる
6つの性格タイプ
①欲の性格 物事の良い面だけを聞く「良い、楽しい」という気分で見る
②怒りの性格 否定的なところをまず見いだす 危機管理
③痴の性格 学んでも理解、判断に達しない 曖昧
④信の性格 人の判断に簡単に乗る
⑤思考の性格 理解、判断に時間がかかり結論に達しない。議論好き
⑥智の性格 自分で責任を持って、すぐ判断する。人の判断に乗らず責任は自分で持つ
本性を壊すと現れるのが智慧
知識のにはえるべき優先順位がある
①生きるために欠かせない知識
②生きることを支える知識
③生きることの障害になる知識
④プラスアルファの知識
⑤どうでもいい知識
正しく覚えるためには、
①目的を確定する
②脳に「これは有意義である」と教える
③感情の制御
有意義なことを学ぶと「善」だが、欲から覚えたものは「善」ではないので「有意義」ではない。自分のためにも人の役にも立たない
感情で学んだことを批判されると気分が悪くなる。理性に基づいての批判は真摯に受け止められ、そこから学びがある
覚える九技
慈悲の瞑想をする
①有意義か否か決める
②脳が「面白い」と感じる
③学んで脳が楽しみを感じること
④探究心
⑤「無智は惨めだ」というプライド
⑥しっかりした「理論性」
⑦ものごとの順番を決めるストーリー
⑧復習する
⑨実行する
記憶はAudio memory 文字ですることが大切 (Photographic memory ではなく)
管理できない「思い出すこと」や忘れる、忘れられないについて
「貧・瞋・痴」の感情がデータを覚えさせる。感情に任せて、記憶がいつでも、新たなバージョンを作って現れたり、蘇ったりする。いつでも編集させている。
記憶を忘れることはできない、やるべきことは、悪感情を制御すること。データはデータとしていったん措いて、感情との縁を切る
苦しい被害に遭った記憶の場合は、被害を忘れるのではなく「恐怖感、悲しみ、落ち込み、怒りの感情」を忘れるのです。
記憶をなくすことは不可能です。都合の良いものを覚えて、都合の悪いものを忘れるなどということは成り立ちません。
記憶をコントロールできなくても、感情はできます。気分を直すのです。データを忘れるのではなく「ああ、そんなことがあったね」と冷静になれます。記憶は鮮明でも、不快ではなくなり、心が自由になり、解放され、安らかになります。